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【東方考察】幻想郷の地図を考える(3)

※はじめに※
今回の内容は(6)にて大幅な修正を加えています。それに伴いこちらも少し修正をしましたので併せてご覧下さい。


次に500年ほど前、妖怪が減り人間の増えすぎたかつての幻想郷に「幻と実体の境界」が張られた際はどうか。

『縁起』にあるとおりこの最初の結界は「外の世界の妖怪を自動的に幻想郷へと呼び込む」為、この状況で人間が易々勝てるとも思えません。

この結界以降、妖怪>人間の構図が自然なはずなのですが、この時代に於いてもどうやら里の人間は滅びませんでした。

「大結界」後の騒動から推測するに、この期間は「人間がいなくなって困る」という考え方はされていなかったはずです。(修正:一般妖怪はこの認識で良いが、妖怪の賢者は違う)人間が保護されない=人間の入郷が容易or妖怪の出郷が容易、と考えられますが、これが少々謎です。
「幻と実体の境界」が引かれたのにも関わらず「幻」側に「人間という実体の存在」を肯定した矛盾的状況が生まれています。
これを矛盾ではないとするならば、「幻」側に括られた時点で「人間」が「幻の存在」になってしまったと見ないといけません。結界はその内側に入ったもの全てを「幻」にするという効果も持っているようです。

※(6)に伴う追記
本記事時点では「幻」「実体」についての考察をしていなかったのでその使い方が一意的でない。
(6)では「実体」とは「非幻」を指すとした。
論理的視点から、
「実体」界(外の世界)における「実体」(ex.外の人間)とは「幻」界(幻想郷)における「幻」
「幻」界における「実体」(ex.神・妖怪、幻想郷の人間)とは「実体」界における「幻」
と考えることができる。

::旧考察。:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

ここで結界の出入りによる影響を考えるに、

仮に「幻のもの」が「実体」の側にいけば、力(存在)を殆ど失うでしょう。これは妖怪や神が人の精神に因った存在だからで、外の世界で勢力が弱まった妖怪が、幻想郷に入れば力を維持できることから明らかです。これで「妖怪の出郷が容易」は否定されます。
なお「幻の人間」も、神通力を失ったり存在が覚束なくなったりするかもしれません。

逆に「実体のもの」が「幻」の側にいくと――これがまたよく解らない。
考えられるのは「実体を失うか徐々に失って幻の者になる」とか、そんな感じでしょう。「千と千尋」がこんな設定でしたね。人間の幻想入りについての一次資料が無い以上は個々の想像に頼るしか無さそうですが、「人間の入郷が容易」は、否定されずとも強く肯定される様な事ではないでしょう。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
※(6)に伴う修正
「幻と実体の境界」を越えるという行為は、幻想郷の者なら幻想郷における幻になるという事であり、外の世界の者なら外の世界における幻になるという事である。これはやや困難であるが、全くできない事ではない。
そして境界を仮に越えることができたのであれば「境界の影響によって力を失う」事は無いだろう。境界はあくまで境目でしかなく、妖怪や人から力を奪ったりする類のものではない。但し境界を越えるために(「幻」になるために)「力を失う」必要があったなら、当然力を失わざるを得ない。つまり境界を出ようとする者は「力を失わずに外に出る方法」を用意しておく必要がある。
「人間の入郷が容易or妖怪の出郷が容易」は(6)修正後も否定される。


これを踏まえて里の人間が滅ばなかった理由を考えると、人間が保護されない=人間の入郷が容易or妖怪の出郷が容易というのは安直で、別の角度から見る必要があるようです。

そこで考えられるのは、

①あらゆる妖怪に対抗できる強力な人間が(何世代にも渡り)存在した
②人柱を捧げるなどして滅ぼされない程度の関係を築いた
③意外と幻想入りの頻度が高く、次々に人間が入郷した
④外来妖怪も多い事から妖怪内の諍いが絶えなかった

こんなところでしょうか。
※(6)で「妖怪の賢者による調整」を新たに加えた。

①は元も子も無いですが、人間が絶えなかった説明としては実に便利です。またその人物こそ博麗の巫女であるという説明も可能です。

②「妖怪の天下」と『幻想郷縁起』にもあり、こうだった可能性もあります。

しかし、果たして充分な人柱を用意できたのかという疑問が残りますし、妖怪はこういう事を好まない性質の者も多そうです。本音はそんな殺伐とした幻想郷が誰に受け入れられるんだという

::旧考察。:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
③あまり考えにくい事です。拝み屋業自体が幻に属すものになったのならありえますが、そういった歴史的事実はありません。しかし不定期にそういった人間が入郷する事は(それまでと変わりなく)あったはずです。
拝み屋以外の幻想入りは――戦国-江戸期に世捨て人ばかりならあり得ますがそういう歴史的事実も多分無かったでしょう。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
※(6)に伴う修正
③(6)にて「幻」になる条件を考えた結果、③は充分有り得ると結論づけた。旧考察時点では「幻」になる人間を拝み屋と世捨て人に限定しているが、他の人間も「幻」になる条件を満たすことはあり得る。しかしやはり絶対数が少ないので幻想郷の人口減を補う程ではないと考える。

④実際のところ実力主義の妖怪世界では多少の諍いはあったでしょう。特に文化の違う外来妖怪と日本妖怪は緊張状態にあったと思います。
しかしながらそれによって人間が悠々の状態だったとは考えられません。
『縁起』で、博麗大結界が張られたときにそういった反応(妖怪内紛による平穏)があったとされている為、それ以前はやはり人間は妖怪に襲われていたのです。

実態は①③④が同時に起こっており、①の有無で妖怪・人間の増減が決まっていたのではないかという事です。

(また①の不在時は②があった可能性は捨て切れません。)

そしてこの時代は、結果的には両者とも増えて幻想郷自体が大きくなっていると考えるのが自然です。

『縁起』の八雲紫の項をみて分かるとおり、「幻と実体の境界」を作ったのは「妖怪拡張計画」という計画の一端で、単純に妖怪だけを増やそうという意図のように見えますが、

単純に半閉鎖的な幻想郷において妖怪だけ増やすのでは人間が減りすぎてしまいます。

よって「妖怪拡張計画」は紫の外向けの呼称であり、実質的には人間も含めた「幻想郷拡張計画」だったと見るべきでしょう。


ではここでこの時期の食糧の話に戻りたいと思います。

続く

追記:2012.12.20 大幅に加筆修正
追記:2013.01.21 (6)に伴う加筆修正
追記:2013.01.23 更に修正
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テーマ : 東方プロジェクト
ジャンル : ゲーム

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No title

コミュニティから来ましたヽ(^o^)丿

幻想郷の考察、とても面白いですね! 特に結界が張られた頃の話は凄く想像力が燻られます。次回を楽しみに待ってますねー!

Re: No title

>じらいさん
コメントありがとうございます。
のらりくらりと続けていきますので(笑)ご愛読よろしくお願いします^^
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鈴屋弥平

Author:鈴屋弥平
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