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【東方考察】番外編

今回は「幻想郷の地図を考える」の番外編です。内容は割とどうでもいい感じです。


☆☆「幻想」という言葉について☆☆


幻想郷の歴史を考えるにあたって、最初に気になったのは「幻想」という言葉。
この言葉、なんとなく新しい印象があったのでいつ頃から使われだした言葉なのか調べてみたところ、Wikiの「幻想文学」の項目にありました。

「日本では『哲学字彙』(1881年)でHallucinationの訳語として「幻想」が使われたが、その後心理学・哲学の領域では「幻覚」に定着。『訂増英華字典』(1883年)で、Fancy、Fantasm等の訳語として「幻想」が使われた。」

これだけではよく分からないのでもう少し調べてみたところ、「幻想」の初出はもう少しだけ前であるようです。

『英和対訳袖珍辞書』(1862)
ideal「想像ノ」
fancy「想像考説」
fantastic「片意地ナル、移氣ナル」
fantasy「想像」
fantasied「妄想ノ」
※日本初の本格的英和辞典。fancyやfantasyの訳に想像・妄想としかなく、この時点では「幻想」は日本に入っていない。

『英華字典(ロプシャイト著)』(1866-1869)
fancy「幻想、空想」
ideal「幻想的」
※英語→中国語。「幻想」が日本に入る用意がなされる

『附音挿図英和字彙(初版)』(1873)
ideal「意(ルビ:ココロ)ノ、想像ノ」
idealism「幻教」
fancy「想像、意思」
fantastic「妄想ノ、想像ノ、幻ノ、怪異(ルビ:フシギ)ナル」
phantasm「幻像(ルビ:マボロシ)」
fantom,phantom「幽霊、妖精(ルビ:バケモノ)、妖怪(ルビ:バケモノ)、幻像(ルビ:マボロシ)」
※fantasticの訳に「想」「幻」を使っていながら、まだ「幻想」という組み合わせをしていない。この時点で「幻想」という日本語は存在しないとみてよい。
※phantomの訳は興味深かったのでついでに載せた。妖怪(バケモノ)とある通り、この時代は妖怪という語自体は存在するものの一般的でなく、単にバケモノ(または幼児語のオバケ)と呼ぶことが多かった。

『英華和訳字典』(1879)
ideal「空幻的、幻想的」
fancy「幻想、空想」
fantasm「幻想、空想」
fantastic「空想的、幻想的」
※調べた中で日本最古の「幻想」。『訂増英華字典』と同じく『英華字典(ロプシャイト著)』を原典にしている

『哲学字彙』(1881.4)
Fancy「意象」
Hallucination「幻想」

『訂増英華字典』(1883)
Fancy、Fantasm「幻想」
ideal「幻想的」

『英華字典』は宣教師W.ロプシャイトが英語を中国語に訳した辞典ですが、『英華和訳字典』『訂増英華字典』はそれを日本人向けに再編したものです(編者は日本人)。
このロプシャイトが作った漢語は多数あり、「幻想」もロプシャイトの創作か、もともと中国の言葉なのかは分かりませんでした。
いずれにせよ「幻想」は中国由来の言葉で、明治初期(1880年付近)に日本に来たことになります。単純に中国語→日本語と直截変換されたのではなく(英語)→中国語→(英語)→日本語という流れであるといえます。

「幻想郷の地図を考える(6)」にて「大結界ができるまで「幻想郷」ではなかったとする説も考えられます」と書いたのはこれが理由で、「幻想」という言葉が無いのだから「幻想郷」と呼ばれてた筈が無い、というひねくれた発想をしている訳です。

『史紀』で阿求は「幻想郷縁起を編纂し始めたのは、一代目の阿一の時で(略)もう千年以上前の話である」と書いており、その他にも多数、大結界以前を幻想郷と呼んでいる記述がありますが、

でも仮に妖怪資料の名前が別のものであっても、ここでわざわざ阿求がその名を出す必要はないんですよね。たとえば「恠異実録」とか「隠里縁起」とかいう名前でも、現代の幻想郷の人間に説明するには「幻想郷縁起」と言ってしまった方が分かり易い。

他の記述も同じことで、現代に生きる現代の幻想郷の住人が、昔の自分のいる土地を指すのに、いちいち昔の名で呼ぶ必要などない訳です。

要するに明治になるまで「幻想郷」という名前が付いてなかったとしても何ら問題はない訳で、むしろそっちの方がリアルな気がするので私はこの説をプッシュしております。

で、じゃあ昔の幻想郷は何と呼ばれてたのかといえば、多分特別な名前は無かったんじゃないでしょうか。
なぜって幻想郷は結界で隔離されただけの日本のどこかの山奥だからです。だから大野とか宮原とか上村とか、そういう平凡な名前でいいのです。博麗神社があるので博麗でもいいかもしれません。

そして博麗大結界の折に紫あたりがハイカラな「幻想」なんて言葉を引っ張ってきて「幻想郷」と名付けたと。



こういう説も面白いと思うんですが、如何でしょうか?

今回はそれだけ。
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【東方考察】幻想郷の地図を考える(6)

さて妖怪と人間の関係性を変遷を考察していきます。

それにしても、いつになったら「地図を考える」んだとツッコまれそうですが、今は外堀を埋める作業の最中という事で、本当の本題に戻るのはもっと先になると思います。


私は幻想郷の時代区分は大まかに4つに分けられると考えています。

1.「幻と実体の境界」以前(室町以前)
2.「幻と実体の境界」~「博麗大結界」(戦国・安土桃山・江戸・明治最初期)
3.「博麗大結界」以降(明治初期~)
4.「吸血鬼異変~スペルカードルール制定」以降(2000年前後~)


このそれぞれで人間と妖怪とはどのような関係であったかを考えます。
過去の記事にかぶる内容もありますが、今回の記事は今後の考察のベースになる部分なので慎重に考察し、修正や新しいアイディアを加えた総括版となっております。なのでやたら長い^^;


まず1.では、「幻と実体の境界」による幻想郷というのが存在していません。
それでは何をもって幻想郷を規定するのかという話になりますが、これは「幻想郷的な場所」の成立の仕方を考えれば見えてきます。
妖怪とはそもそも人間の怪異への恐れ(或いは怪異そのもの)です。
この妖怪(怪異)を、人間は意識的・物理的な境界をもってムラ(人間のコミュニティ)から除外します。これによって初めて妖怪の跋扈する「幻想郷的な場所」が出現します。
ここで他所から、妖怪退治しますよと言って拝み屋が現れ、幻想郷的な場所に移住します。
これにより「幻想郷的な場所での人間と妖怪の関係」が出来ます。
ムラの人間は幻想郷的な場所を構成する要素ではありますが、幻想郷的な場所の人間ではありません。
つまりこの時点では幻想郷的な場所での人間とはイコール拝み屋を指しています。少し時代が下るとその子孫も含みます。
(なお「拝み屋」は陰陽師、山伏、渡り巫女などを指します。もうちょっといい総称でも良かった気がする)

幻想郷構成①
※本図の「幻想郷」は「幻想郷的な場所」。これには結界が無いので出入りは容易。ムラ周りの境界はムラの人間による意識的なもの。

何故イチイチ「幻想郷的な場所」と書いたかというと、「この様な場所はいたるところに存在した」という『幻想郷風土記』を踏まえての事です。この構図は日本全国にみられた事で、その内の1つが現在の幻想郷に「なった」訳であり、結界以前に「幻想郷」があったと考えるのは不自然です。(『史紀』の紫の項でも同じような事が述べられています)

この時期の人間と妖怪の関係は、「妖怪と人間の戦いが毎夜の様に行われていた」(『風土記』)という記述のままで問題ないと思われます。
わざわざ妖怪を退治する目的をもって辺鄙な場所に移住してきた拝み屋達ですから、それ以外の関係を持つとは考え難く、とにかく妖怪に喧嘩を売ったり妖怪から攻め込まれたりというかなり危なっかしい状態です。


次に2.です。
1.の構図を大きく変えたのが「幻と実体の境界」でした。「幻と実体の境界」「妖怪拡張計画」については(3)で大まかに考察していますが、以前考えることを放棄した内容があるので(^^;)ここで述べておきます。
それは「東方で言うところの幻、実体って何?」という点です。ある意味最も重要なポイントですね。。
とりあえず辞書(wiki)に頼ります。

「幻」
・現実には存在しないのに、あたかも存在したかのように記憶されるもの。
・現実には実在するが、その数が大変少なく希少価値があるとされているもの。
・実際に在った・起こったはずなのに、その存在を二度と確認できないもの。
・計画や立案のみで実現しなかったもの。

「実体」
・哲学用語で、真に実在するもの。実在とは認識主体から独立して客観的に存在すること。
・そのものの本当の姿。実質。正体。

まず「実体」を見てみると、これは「真実在のモノ」と言い換えて、平易な言葉でいえば「夢とか妄想とかじゃなく、誰が見ても真に在るモノ」の事ですね。古典哲学的な「本質」どうのこうのの話になりますが、恐らく神主的には「幻」の裏返しを表す用語としてこれを使っているので形而上学的な話は筋違いかと思います。正体とか実質というのも東方的には違うので、単純に「幻」でない事を指す用語と見るのが自然です。
しかし実体=非幻というだけでは中身がよく分からないので、あとでその特徴を調べてみます。

では問題の「幻」ですが、4項目ありそれぞれに外の世界で、と付け足せば東方でも用いられているような使い方です。しかし、かっちりと嵌る説明とは言い難いかもしれません。

・外の世界で現実には存在しないのに、あたかも存在したかのように記憶されるもの。⇒妖怪、神、神通力、etc
・外の世界で現実に実在するが、その数が大変少なく希少価値があるとされているもの。⇒朱鷺、月の星条旗、ヘマタイト(アイアンローズ)、丸型ポスト、etc
・外の世界で実際に在った・起こったはずなのに、その存在を二度と確認できないもの。⇒東京タワー、天叢雲剣、etc
・外の世界で計画・立案されたが実現しなかったもの。⇒常温核融合、etc

と一応当てはめる事はできているんですが、東方的に妖怪や神などを「現実には存在しない」と言ってしまって良いのかという問題もあり、そもそも只でさえややこしくなっている定義問題に「現実に存在する/しない」という新たな言葉を出すのはナンセンスです。加えて
・外の世界で忘れ去られたもの、存在を否定されたもの⇒神子、etc
・外の世界で使用頻度が減ったもの⇒紙、etc
こういった物が「幻想になったもの」として幻想入りしていますが上の4項目には該当しません。また
・境界が張られた時点で境界の内側にあったもの、境界の内側で生まれたもの(⇒幻想郷の人間、動物、境界内で引き起こされる全てのコト)
・紫が新たに引き入れたもの(普通の実体のものでも幻想郷に入った時点で「幻」のものである)
これらは外せません。
wikiの4つに目を向けると、それぞれこのように言い換えできます。
・「非実在」で「想像の産物」
・「実在」で「数量の小さい」「希少価値がある」
・「実在」で「既に失われ、再現性がない」
・「机上の空論」
ここで東方的でないのは「非実在」「希少価値」の2つです。
東方では「想像の産物」はそれによって「実在」します。また、「数量が小さ」ければ「価値の有無は問わない」ようです。

纏めると、

┌幻┬外の世界で┬想像の産物である物事
│ │     ├数が少ない物事
│ │     ├忘れ去られた物事
│ │     ├存在を否定された物事
│ │     ├使用頻度が減った物
│ │     ├机上の空論たる物事
│ │     └既に失われ、再現性がない物事
│ └「境界」の内側に在る、または新たに入った物事

└実体(非幻)

こうしてみると「幻」になる方法は意外に沢山あるとわかります。
「幻」がはっきりしたところで、「非幻=実体」の特徴を挙げると、
・存在が確かである
・外の人間に必要とされている、よく意識される
・高頻度で起こりうる、失われても再現できる
といったところでしょうか。

話を戻します。
2.から幻想郷の構成要素に「妖怪の賢者」が加わります。ここでの妖怪の賢者は紫一人に限らず、紫に匹敵する力と知恵を持った妖怪全てを指しますが、結局のところ要となったのは紫の能力でしょう。
結界によって「幻想郷的な場所」の1つが妖怪の為の世界、つまり現在の幻想郷に変わりました。(大結界ができるまで「幻想郷」ではなかったとする説も考えられますが、他の幻想郷的な場所と境界のある幻想郷的な場所では様相がまるで違っており区別する意味でもここを「幻想郷」としたい)
1.との大きな違いは妖怪が幻想郷の外との関わりを殆ど断ち、その存在を幻想郷の中だけで完結できるようになった点です。これは幻想郷に妖怪を恐れる人間を内包する事で可能になると思われます。
ここで(3)の考察を振り返りつつ、修正を加えたいと思います。変更点は、妖怪の賢者による保護に関する部分です。
(3)ではこの時期は妖怪の賢者による人間の保護は無いものとして考えました。
しかし妖怪の賢者としては、(5)で少し触れた通り幻想郷を積極的に維持したいはずなので人間が減りすぎるのは困るはずです。
(3)では人間が滅びなかった理由として「強い拝み屋の存在」「低頻度の幻想入り」「妖怪同士の諍い」を挙げましたが、これだけでは賢者自らが幻想郷を守ろうという意思が弱いように感じられます。幻想郷の維持・管理を行う立場の賢者が何もしないのは不自然です。
そこで考えられるのが、妖怪の賢者による「調整」です。

幻想郷構成②

この調整とは、①妖怪の過度の人間襲撃を抑えたりとか、②人間が減りすぎたり弱くなりすぎたりした時に「神隠し」を行って強い人間を増やしたりする事です。
①は立場と実力の強い妖怪にしか出来ませんし、②は結界を抜けられる妖怪にしかできません。そのどちらとも、紫(や、それに匹敵する妖怪)になら可能でしょう。

2.でも人間と妖怪の関係は、1.と基本は変わりません。妖怪が人間を襲い、人間が妖怪を退治する。
そこにそれを調整する賢者と、妖怪を恐れる拝み屋でない人間という要素が加わっただけです。
(※当ブログではこの「その他の人間」の営みをメインテーマにしている訳ですが)


次に3.です。これ以降はまだ一切考察をしていない時代ですので詳しくやりたいと思います。
この時代は1885年、明治に入って暫く経った頃から始まります。
この時代は外の世界で近代化(理性主義による啓蒙)が急速に進められた頃であり、即ち「前近代」が否定された時代でした。妖怪"否定"博士などと呼ばれる井上圓了もこの年旧東京大学哲学科を卒業し著述活動に入っています。
こうした近代化の流れで妖怪が消えゆくなか、遂に第2の結界が張られ「幻想郷」は半完全に隔離されます。
悩ましいのは「博麗大結界」の結界強度です。「幻と実体の境界」は幻⇔実体の論理結界で一見強力に感じられるのですがあまりそういう描写がなく、逆に「博麗大結界」は常識⇔非常識の論理結界で然程強そうではないのにこれによって妖怪内で混乱、闘争が生じるという描写がある。
無論「大結界」ができたあと「境界」が消えた訳ではないので、境界強度を考える際は「幻⇔実体(非幻)」と「幻+非常識⇔実体(非幻)+常識」で比べる必要があるのですが、それでも「常識・非常識」の区別にそれほど付加価値があるのかと勘繰ってしまうところです。
ここではっきりさせておくべきは「常識・非常識」とは誰から見ての事なのかという点です。「外の世界から見て」であると『史紀』では述べられています。さらに言うなら「外の世界の近代人(理性主義者)」の事ではないかと思います。つまり「常識・非常識」とは「理性的・反理性的」と言い換えて問題ないのでは無いか。
総ずれば新結界は「幻+反理性的⇔非幻+理性的」の結界となる訳です。
つまり、結界を超える為の要件は
外の世界なら「幻である、理性的でない(理性で理解されない)存在」。
幻想郷なら「幻でない、理性的な(理性で理解される)存在」。

実例を挙げて考えてみましょう。
例Ⅰ:東風谷早苗(奇跡を起こす人間)、宙に浮ける人間Aさん@外の世界
近代人(理性的な人)からすれば理性で理解はできないので「大結界」を越えられる。
しかしその実在がはっきり認識されていれば「非幻」であり「境界」を越えられない。
外の世界で存在を否定されたり、その他の方法で「幻」になれば幻想入りできる。

例Ⅱ:理性的な(つまり普通の)人間Bさん@外の世界
理性で理解し理解される範疇である。これは「大結界」を越えられない。
仮に忘れ去られるなど「幻」の要件を満たしても「大結界」で弾かれる。
理性的存在から脱却する事は極めて難しい。

例Ⅲ:二ツ岩マミゾウ、河童のCさん@外の世界
理性的に考えれば「見間違い」などで片付けられる。
実体ある外の妖怪は理性的存在ではないので「大結界」を抜けられる。
かつ存在を否定されているので「境界」も抜けられる。

例Ⅳ:天照大神、大国主命、倉稲魂神@外の世界
理性では「社会装置としての神」など別の形で理解される。実在者としての天照は「幻」であると理性は決める。
つまり実在者としての天照は幻想入りできる。しかし外の方が信仰が集まるので、形骸的(「社会装置」)であっても外に留まる方が良いと判断するのではないか。(そもそも神が実体をもつメリットも少ない)

例Ⅴ:八坂神奈子、洩矢諏訪子@外の世界
天照同様、理性では「社会装置としての神」など別の形で理解され、実在者としては幻想入りできる。
しかし信仰が外では集まらないので、天照のように外に留まらない方が良いと判断する。

例Ⅵ:秋静葉、伊吹萃香、霧雨魔理沙@幻想郷
「幻」の存在(幻の世界で実体をもっている存在)であるので「境界」を越えられない。
仮に「幻」でなくなったとすれば(方法は不明)、次に理性で理解される存在になる必要がある。
神や鬼なら社会装置(概念)にならねばならない。人間は魔法を捨てねばならない。
つまり実体をもって外に出られるのは人間だけである。

例Ⅶ:封獣ぬえ@幻想郷、外の世界
理性的には否定される存在がマミゾウを呼びに外に出ている。これは、
ぬえの能力「正体を判らなくする程度の能力」が自存在という境界を曖昧にできると解釈すれば説明できる。
この能力は、自身を外の人間にも理解できる形に変換する事ができる。故に「大結界」を越えるのは容易である。
「幻」から脱却する方が難しそうだが、彼女の能力は幻の世界で幻になるという風にも解釈できる。
「幻の幻」は「実体」である(論理的に2重否定は肯定)。よって「境界」も抜けられる。
一旦外に出れば幻の存在ではなく実体の存在である。
上の「幻」の表のいずれかを満たせば「境界」は越えられる。これは容易である。
「大結界」を越えるには反理性性を外の人間に気づかせれば良いのでここでも彼女の能力が有効に働く。
(総じて考えれば、結界の出入りができる点でぬえ(鵺)は紫級の大妖怪である。「正体を判らなくする程度の能力」は存在を別存在と認識させる境界操作能力である。ただ紫の境界操作よりは対象が限定的かもしれない)

例Ⅷ:(特殊でない)空気、土、物質、物理的な力@幻想郷
幻想郷は日本と陸続きの幻の世界であるので、空気や土は普通の空気や土というのが一般的。つまりもともと「幻⇔非幻」「理性⇔反理性」の区別を持たない。よって自由に出入りできる。
但し魔法の森の「瘴気」など特殊な性質をもつものは「幻」の空気であるので外には出ない。

例Ⅸ:八雲紫@幻想郷
「結界にゆらぎを作れる」。一時的、部分的に結界を無視して出入りできるので結界を越えるのは容易。
ついでにマエリベリー・ハーンも「境界を操る程度」になっているのであれば結界の無効化は可能。

※結界を出る(入る)・出ない(入らない)はその者の自由意志で決定できるものとしています

ここで例Ⅵに注目します。
こうして見たとき、「幻⇔非幻」だけと「幻+反理性⇔非幻+理性」を比べての違いは明白です。
「幻⇔非幻」だけであれば実体をもって外に出られますが、「幻+反理性⇔非幻+理性」になれば外で妖怪が実体を持つことはありません。漠然とした概念として意識的な空間に存在できるのみです。
これこそが妖怪が「大結界」に反発した理由だと考えられます。外に出られなくなって反発したのではなく、外に出ても自存在を認識されないから反発したのです。

さて人間と妖怪の関係の話に戻ります。
「博麗大結界」によって半完全に閉じた3.の幻想郷では、「人間を上手く生かす事」が課題になります。
妖怪や神は人間に恐怖・畏怖される事で存在を維持できる、という点は変わらず、その手っ取り早い方法が人間を襲ったり捕食したり祟り殺したりする事だったのに、それがし難くなった。
一次資料を読む限りでは、人間が捕食されたというような事件は『蓬莱人形』や再思の道・無縁塚・神隠しを除けばありません。これは対象が外来人で、里の人間ではありません。里の人間は脅かされこそすれ殺されることは無い。しかも里を出なければ脅かされもしない。
しかしそれで恐怖・畏怖は維持できるのか?この疑問を解決しなくてはいけません。

ここで解決へのアプローチとして、妖怪の食を考えます。
まず、『史紀』の霊夢の項に曰く「大結界から100年後の妖怪の無気力化は妖怪が人間を簡単に襲えなくなった為(食料係から食糧が提供されるようになった為)起こった」というような説明があります。
これをシンプルに受け取れば
「全ての妖怪の食糧は、食料係が外の世界や再思の道や無縁塚のような場所から人間を獲って分け与えている」
という事になります。
私としては、これは全く納得いきません。紫や藍が(主に藍でしょうけど)、その他の食料係が末端の妖怪にまで人肉を供給している姿は想像し辛いです。
では『史紀』の記述が間違いなのかといえば、勿論そんな事はなくて、
そもそも妖怪の全てが人間の肉体を食糧にしているのではないのです。妖怪の食性は
①何も食べない(少なくとも人間は食べない)(妖精、捨虫・捨食した魔法使い、神、霖之助など)
②人間の恐怖心など、精神を食べる
③人間の肉体を食べつつ他の物も栄養にできる(小分類「妖怪」、妖獣、河童、他多数)
④主に人間の肉体やその一部しか食べない(吸血鬼、鬼など)
という4種類に大別して良さそうです。(酒はカウントしていません。栄養云々ではないので)

①はそのまんま、何も食べないので無視できます。
②なら里から出た人間(里以外の場所、例えば竹林に筍取りにいく人間を『史紀』で確認できる。このように里外に頻繁に赴いて生活の糧にしている人間がある程度存在していると考える)を襲って(食べるわけではないので許される)、それで良しです。
③は基本人間以外を食べたり、②のように人間を脅かしたり、稀に人間を食料係から貰えば大丈夫です。なお、『史紀』を見る限りでは自給自足の習慣はなく人間の作物を盗む事が多いようです(阿求曰く「深刻な問題」)。
④は妖怪の食料係が外から人間を獲ってくるのを待つなり、再思の道などの場所で捕食するなりすればOKです。
その数はというと、③>①②>>④じゃないかと思います。

④のような妖怪は力が強い分、数がかなり少ないです。食物連鎖の頂点のような存在です。
③は人間を食べ、数も多いですが、稀にしか人間を食べないので食料係フル稼働のような事にはならないと考えられます。
②は他と分けて表示しましたが、妖怪なら誰しも存在維持の為には人間を脅かすのは必要な事です。が、栄養としているかといえば微妙で、概念的な問題で必要、という意味が殆どです。①と分けるべきか悩みましたが、例えば妖精は人間から殆ど独立して存在できる「精」で、人間の恐怖心などを必要としませんし、魔法使いも人間に恐れられる事を必要条件にはしていません。そう言う意味で①より妖怪性が大きく、③よりは人間を食べない分弱い、というのが②の分類です。

こうして考えると、人間から恐怖を得られる妖怪というのは②③に限定されるようです。
①は恐怖を得る必要がないので除外して、④はともかく②③は恐怖を得られるじゃないか、どうして無気力化するんだ、となりますが、これは恐怖の量が「人間を捕食する>>>人間を脅かす」であり、脅かす程度の事では十分な妖力を得られないという事だと思います。
そして④の妖怪はまさにThe・無気力になりそうですが、「吸血鬼異変」の時点では吸血鬼は新参、鬼はどこかへ行ってしまっており両方とも「大結界」後の妖怪の体たらくとは無関係、という具合です。
吸血鬼異変のとき吸血鬼の下に付いたのはこの②③であり、②はもともと人間を食べないので力の弱い妖怪ですが③こそが「大結界」の余波を受けて弱体化した妖怪であるといえます。また鬼や吸血鬼以外で④に分類される妖怪も、(居たとすれば)大人しく吸血鬼の軍門に下ったでしょう。

さて、妖怪の食問題は解決しましたが、この状態はある問題を孕んでいます。
妖怪の食問題を考察したのは恐怖・畏怖は維持できるのか?という疑問からで、この答えは「里の外に出る人間に対しては出来る」です。しかし、里を出ない(出る必要のない)人間からは恐怖心を持ってもらえないという問題があります。例えば里の蕎麦屋からすれば、妖怪などたまに来るちょっと物騒な客、あるいは全く関わりのない存在です。これでは「人間を上手く生かす事」に成功しているとは言い難い気がします。もっとより広い人間に、妖怪が恐れられる方法を検討した方が良さそうなものですが、これについては4.にて。

3.時代の関係図を纏めたのがこれです。↓
幻想郷構成③
妖怪は人間を殆ど襲えなくなり人間も退治する必要がなくなり、拝み屋業は軒並み廃業。
3.はどの時代よりも人間と妖怪の関係が希薄な時期であったようです。
その余波を受けて人間の里や妖怪社会には大きな変化があったことでしょう。それについてはまた今度。

4.です。
「大結界」後の妖怪の弱体化の末、「吸血鬼異変」を経て「スペルカードルール」が制定されました。
スペカルールによって「妖怪が人間を襲い、人間は妖怪を退治する」関係を保つことができ、妖怪は弱体化を食い止めることができるようになったようです。
ただこれ、結構付け焼刃の対策で根本的な解決は出来ていないように思います。
「妖怪が人間を襲い、人間は妖怪を退治する」とか「妖怪が異変を起こし、人間が解決する」というのは表面的な関係であり、その背景たる「人間が妖怪を恐れる」という最も基本的な部分が疎かになっている。
どうやらこの表面的で形骸的と評される関係でも妖怪は力を維持できているようなんですが、真の意味で妖怪が力を付けるにはやはり里の人間からの恐れが必要になってくるかと思います。
まあしかし、「恐怖・畏怖の維持」は成されなくとも「幻想郷の維持」が出来るなら妖怪の賢者的にはOKなんだという事でしょうか。
或いは、この「里の人間からの恐れ」はパワーバランス維持の為にあえてキープしてあるのであって、紫が警戒している「人間が集まって妖怪に刃向かう事」に対する切り札にしているのかも。刃向かってきたら強い妖怪引っ張り出して叩きのめして支配強化。おお、こわいこわい

・・・真面目な話、妖怪に刃向かう正しい方法は「存在を完全に忘れ去る」なんですよね。こうなってくるとやはり阿求は妖怪サイドの存在なんだなぁと思いますね。(5)で妖怪行政に「広報は不要」と書きましたが、「広報は阿求」に訂正した方が良さそうですね。

時代区分4.は3.の改良版ですのでさほど考察することはありません。
人間と妖怪の関係はこんな感じです↓
幻想郷構成④
相変わらず人間と妖怪の関係は薄く、スペカ制による補強でなんとかバランスを取っている感じです。
スペカルールが廃れたらどうするんでしょうね。今度こそ根本的解決に乗り出すんでしょうか。


以上が「妖怪と人間の関係の変遷」考察でした。

次回はやっと人間の食の話に戻れそうです。多分。

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百合語り、2013年1月の百合

今月買った百合物件は3冊。

「百合姫(雑誌)」と、百合姫コミックスの「犬神さんと猫山さん(1)/くずしろ」、「沼、暗闇、夜の森/さかもと麻乃」。

・「百合姫2013年3月号」
コミック百合姫 2013年 03月号 [雑誌]

コミック百合姫 2013年 03月号 [雑誌]
価格:880円(税/送料込)


百合姫は初心者向け、などというが、これが初心者向けなら一体何が玄人向けなのだろう。
「玄人向け」「初心者向け」という言葉が曖昧である以上、これに答えはない。
例えば三次百合(声優やアイドルなど)はどうか。
確かに百合センサーの感度を高く設定すれば声優は引っかかるかもしれない。が、所詮彼女らのそれは擬似的なもので、どこをどう見ても表面的でしかない。
「表面的でもなんでも、少しでも百合を感じられるなら妄想補完で百合作品に仕立て上げる」という態度はある意味では玄人と言えるが、作中に高い百合成分を与えることに成功している作品を厳選する立場の方に私は魅力を感じるし、私個人が百合玄人だと思うのはそういう人である。
きらら系4コマ百合にも言えることで、男を排して女だけの世界を作り百合を自然化する作法を用いている作品(最たる例が「けいおん!」や「ゆるゆり」である)は決して純度の高い百合ではないが、そういった作品の百合性を妄想補完して二次創作している同人屋を、百合玄人と呼ぶべきかは判断が分かれるところだ。

では18禁ものはどうか?
これも、18禁作品は性描写に多くを割かねばならない都合上、しばしば精神的な繋がりを軽視する。
レズセックスを至高の百合だとするのは肉体関係至上主義であり、いかなる肉体関係をも認めないのは精神関係至上主義だが、どちらも極端なだけで玄人と呼ぶべきでないように思う。
ところで18禁百合は百合である以上、いわゆる「実用性」が低い。百合のくせに百合度が低く、18禁のくせに実用性が乏しいとなると最早存在意義がよくわからない。女性が買うのだろうか。
18禁百合で成功したのは「少女セクト」くらいだと思う。「少女セクト」は18禁(正確には掲載誌が18禁で性描写もばっちりあるのになぜか成人指定を免れている)のくせに文学的空気をもった変な作品(褒め言葉)で、当然実用性は低いが百合性の面では百合姫・ひらり、作品にも引けをとらない。

まだ百合というジャンルは成熟しておらず、描き手の百合愛はひしひしと感じられるが如何せん漫画が下手である事が多い。百合姫作家は特にそうだ。
しかし青年誌に掲載される百合作品は、百合専門誌の百合作品より遥かに漫画が面白い。「オクターヴ」「青い花」「ささめきこと」「彼女とカメラと彼女の季節」などは百合作品として優れている以前に漫画として面白いから評価が高いのだ。私はこういった作品性を重視した百合がもっと世に出てくれる事を切に願っている。
なので今の「百合姫」の方向性は、一定の理解はしつつも最終的には改まってほしいと思っている。
百合姫は、百合好きでなければ絶対に買わない雑誌という意味で、また百合純度100%という意味で玄人向けだが、漫画としてのレベルはまだまだ低い。百合姫に必要なのは百合度を高めることではなく、百合度はそのままで漫画を面白くすることなんだろうと思う。

オススメ作品
「犬神さんと猫山さん/くずしろ」……問答無用で面白い4コマ。
「月と世界とエトワール/高上優里子」……王道百合(女学園、エス)。しかし、今の時代この分野は最早王道では無く「古典」と呼ぶべきだと思うのは私だけか?
「citrus/サブロウタ」……女性向け少年誌系の絵柄であり、百合姫内ではやや異色。出身が少年誌系だからか、漫画として面白い。1月号(第一話)の大胆なコマ割りなどはさすがという感じ。
「ロケット☆ガール/田仲みのる」……あまり評価されてないらしいのが残念でならない。まぁ雑な印象は拭えないが、この作者はいい漫画を描くポテンシャルはあるのに少々やる気をなくしている感がある。今月号ではいきなり3年飛んだが、次回以降回想形式で、あるいはその先で濃ゆい百合展開を見せてくれるものと信じたい。この作品の評価が低い理由の1つが百合度の低さだと思われるが、連載作品の頭からいきなり百合百合してても中盤弛れて尻すぼみは目に見えている。百合姫でもオクターヴ、ガルフレ並みの長い作品を出すには、読者側があまり近視眼的にならない事が大事だ。
「雪バラ 紅バラ/タカハシマコ」……タカハシ先生の復帰作。百合専じゃないからか、創作における視点が広い。しばしば百合で無視される「その後」まで、きっちり描けるのは今のところこの作者だけだ。こういうとリアル志向なだけに思えるが、絵柄の可愛さでそれをカバーしており、どこか幻想的な空気を漂わせている。
「スノーフレイクス/百乃モト」……モト先生の復帰作。この人も漫画はそこそこ上手い。ただ他とそれほど差がある訳じゃなく、単に好みの絵柄というだけである。笑
「百合男子/倉田嘘」……この作品を百合と認めるか(百合姫に掲載させるべきか)はしばしば論争になるところだが、私は百合姫だからこそこういう作品が生きるのであって他誌では理解されないだろうと思う。百合男子の初期はあるあるネタやインパクトで押していたが、徐々に路線を変えつつある。展開が読めないように描かれており、漫画としてそこそこ面白い。


・「犬神さんと猫山さん(1)/くずしろ」
犬神さんと猫山さん(1)

犬神さんと猫山さん(1)
著者:くずしろ
価格:860円(税/送料込)


百合姫の中で群を抜いてギャグセンスがあるのがくずしろ先生だ。「姫のためなら死ねる」でも有名だし、百合以外ならサンデーにも作品を寄せている。要するに漫画の才能がある。
百合的にはそれほど語ることは多くないが、特筆すべきはキャラクターの個性が強い、という点。
百合姫が慢性的に抱えている問題は、読み切りが多くキャラクターに個性を与える前に話が終わってしまい、最終的に意識に残らない作品が多いという事だ。読み切りが多いのは初めてこの雑誌を手に取った人には嬉しいが、長期購読している層がいつでも離れていける状態とも言える。この点はそろそろ改善がなされてもいい気がする。
とはいえ、たまに1話だけで強烈な個性をみせる作品がある。大沢やよい先生のブラックヤギーがまさにそれで、作品の個性も然ることながらキャラクターの個性が非常に強く、大変インパクトがあった。
人気に押されて連載に切り替えられたが、こちらはパッとしない。問題は明らかで、キャラクターが強いのが売りなのに人間関係の話になってしまっている事だ。もっと八木さんがブラックヤギーをやっている描写を増やし、自らの人間関係もブラックヤギーでパパッと解決してしまうくらいの事をしないと、連載は続かないだろう。

百合は人間関係であるから、「スール萌え」「年の差萌え」「主従萌え」など、関係性だけに重点を置いてしまいがちだが、これでは連載できるほどの人気は出ない。全体的なキャラクターの魅力の底上げが望まれる。


・「沼、暗闇、夜の森/さかもと麻乃」
沼、暗闇、夜の森

沼、暗闇、夜の森
著者:さかもと麻乃
価格:900円(税/送料込)


久しく読み切り集の百合姫コミックスは買っていなかったのだが、久々に買ってみたのがこれ。
この作者はストーリーが毎度巧みだ。キャラクターで押さずにストーリーで押す。それもひとつの形だ。(勿論両方できるに越したことはない)
表題作「沼、暗闇、夜の森」はどこからが妄想なのかという議論(という程でもないが)が一部であった。私は物事を深く考えるのは苦手なので、どこから妄想とかは気にしない事にした。
とにかくストーリーが素晴らしいのでキャラが立ってなくても余韻を残せるいい作家である。小説家向きかもしれない。

以上誰も読まない百合語りでした。

テーマ : 百合姫
ジャンル : アニメ・コミック

「東方紅魔郷」

弥平です。

今更でお恥ずかしいんですが、

やっと「東方紅魔郷」クリアしました(笑)

魔理沙の「魔符」です。

ずっと「霊符」「夢符」「恋符」で挑戦してたんですが、

パターン組むのが苦手なので、真下からの高威力ショットで手っ取り早くボスを倒せる「魔符」でやってみたら7回目であっさりクリアできました。相性ってあるんですねー^^;

今までゲームをクリアした事がないという事に引け目を感じていたので、ちょっと肩の荷が降りました。

並行してやってました東方考察の第6弾も近々うpできそうです。

アクセスカウンターもついに3桁に乗りまして、ますます頑張っていこうと思う所存であります(`・ω・´)ゞ


テーマ : 東方プロジェクト
ジャンル : ゲーム

HN変えました

どうも、弥太朗改め弥平です。

pixivにあわせてHN変えましたのでよろしくです。

テーマ : あいさつ
ジャンル : その他

【東方考察】幻想郷の地図を考える(5)

それでは続きです。

前回「妖怪」の例外として挙げた座敷童、これをどう位置づけるかをまずやります。

なお今回の内容は現時点で単行本未収録の茨歌仙14話にがっつり絡むので、ネタバレが嫌な人はスルーしてください。


まず自分自身に訊いてみる。「座敷童って妖怪か?」

10人中(私を含めた)8,9人は「妖怪だ」と答えると思います。通俗的感覚からいって、座敷童は妖怪なのです。

しかしながら、東方的妖怪観に於いて、「座敷童は妖怪」には素直に肯定しにくい面があります。

例の大雑把な分類の上では問題ないのですが、役割・特徴においてはかなり異質、というか相容れません。

また、てゐは「個性として」人間を幸せ(幸運)にする妖怪ですが、座敷童は「種族として」人間を幸せにするという意味で大きな隔たりがあります。

この「人を幸福にする、人から好かれる"妖怪"」の特異性にはZUN氏も気付いていて、やむを得ず付加されたのが「スパイ」という役割ではないか。

これによって座敷童は「人に害をなす」存在になり、幻想郷の妖怪として認められる。という感じで座敷童は登場を許されたのではないでしょうか。

::::2013.1.26.追記::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
座敷童についてのこの考察は、私の「座敷童は単に人(家)を豊かにする妖怪だ」という認識に従って書いたものです。
しかしこの理解は間違っていたかもしれません。詳しく調べてから必要なら修正したいと思います。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


さて、ここから「妖怪の賢者」の役割について考えていきます。

といってもはっきり分かっている事で、妖怪の賢者の役割は「幻想郷の維持」なのですが、具体的に何をやっているのかという事です。

まずひとつは、座敷童や、その他多くの妖怪を「幻想郷の妖怪」と認める役割。

またこれ以外にも結界の管理、幻想入りした物品の管理、食料係など多くの役割を妖怪の賢者は担っています。

さらに儚月抄には面白い記述があります。紫が藍に月への侵攻の理由を語るシーンで、比喩的ではありますが「住民税」という概念を出しています。妖怪の賢者は幻想郷社会にとっての徴税者でもあるようです。

総じて考えれば、妖怪の賢者は幻想郷の「役所」という役割を担っているように思えます。

この役所という観点から妖怪の賢者を探ってみます。

ところで妖怪の賢者といえば紫ですが、『史紀』には「賢者の一人」と記述されている為、他にも妖怪の賢者が存在している(いた)と思われます。しかしはっきりと活動している様子が描かれているのは紫だけなので、当ブログでは妖怪の賢者=紫として扱います。

役所の仕事を列挙してみます。

・人事
・防衛
└徴兵
・財務
└造幣
・税務
・環境整備、開発
└結界
└上下水道
└エネルギー
└道路・河川などの都市整備、防災(消防)
└廃棄物処理
└公害対策
・地籍管理
・戸籍管理
・福祉
・教育
・医療
・産業振興
・観光振興
└文化財保護
・広報
・立法(議会運営)
└請願・陳情
・司法
└法令管理

大まかにいってこんなところでしょうか。

役所といえば行政・立法・司法です。それぞれが独立して互いを監視するのが近代の外の世界では理想とされていますが、幻想郷では分立は為されているのか。

またこれらは、妖怪・人間どちらに対しても及んでいなければ高度な自治を実現する事は困難に思えます。

紫がそれを実現しできているのか、上の一覧に当て嵌めてみると・・・
(●対妖○対人。▲△は外部委託、独立型自治)

●○・人事->幻想郷にとっての最低限の人事はやっている(博麗の巫女や事務として式神)
●○・防衛->重大な異変の解決はやっている(永夜抄、緋想天)。月などからの侵攻に対しては多分手が無い。
●○└徴兵->月面侵攻のときに妖怪を集めるだけの権威はある
―△・財務->妖怪側は金で回る社会ではなさそう。人間側の財務にはおそらく手を出しておらず、自治か。
――└造幣->幻想入りした貨幣を使っている
●○・税務->「住民税」とは「社会参加の強制」。それ以外の税は取っていない。
――・環境整備、開発->多くはやっていない。紫より適任者が多そうなので、大方外部委託。
●○└結界->唯一確実に管理しているといっていいもの。
?×└上下水道->インフラ整備はリアルな幻想郷を考える上で悩みの種。今後考察。
?△└エネルギー->電気は通っているらしいが整備者は紫ではないだろうから謎。燃料の薪は、人間側は林業が発達しており問題ないはず。妖怪にも林業従事者がいるのかは謎。そもそも必要としているのかも分からない。
▲△└道路・河川など都市整備、防災->都市(というか里)整備は自治か。
??└廃棄物処理->これも悩みの種。自然物なら昔ながらの知恵で何とかなるが。
××└公害対策->工業化が進めば問題になってくるだろう。現時点では不要か
―?・地籍管理->多分していないが一番係争の元になりそうな事柄でもある。妖怪なら力の論理、人間同士なら自治でどうにかできるが人妖の利害が絡んでくると一筋縄ではいかない。
??・戸籍管理->新参者の管理くらいはやっていそうだが謎。税が無いなら管理する必要なしか
―△・福祉->多分何もやっていない。助け合い社会。
●×└食糧->人間を取ってくる。しかしそれ以外は無し。
―△・教育->対人は慧音とか他の識者。妖怪には不要
―△・医療->対人は里の医者とか永琳。妖怪には多分不要
??・産業振興->当ブログの主題に関わる分野。今後考察。
――・観光振興->不要
××└文化財保護->地形を変えるような活動も黙認
××・広報->行政サービスがほぼ無いので広報の必要が無い

??・立法(議会運営)->スペカルールや最低限の取り決めを、議会でなく賢人会議のような形で行い、それ以外はやっていない。
??└請願・陳情->妖怪退治を博麗の巫女に頼んだりするのを見る限り、専門の者に直接掛け合わないといけないらしい。自治組織の存在が疑わしい。

??・司法(民事、刑事)->賢者は基本何もしない。一から十まで決闘はありえないので揉め事は寄り合いで解決しているのか
××└法令管理->魔理沙の窃盗すら裁けないようでは法整備は為されていないと言って良い。


どうも紫個人では役所として機能していないようです。(一人で役所が回らないのは当然ですが)

上の一覧で「外部委託」や「(行政を介さない)自治」と書いたものを含めれば、大凡成り立っているように見えますが、結構問題は多く、「インフラ、廃棄物処理」「戸籍・地籍管理」「食糧」「産業振興」「司法・立法」といった問題を妖怪の賢者は放置しています。

三権分立も、司法府・立法府が「寄り合い・決闘」「賢人会議」では成り立つものではありません。

おそらくZUN氏の意向として、理想郷たる幻想郷では行政どうこうより自然発生的な自治(自治以前の「助け合い社会」程度のもの)に、かなり漠然と期待している部分が大きく、こういった細部を詰める必要は無いと判断されているようです。

しかしリアルな幻想郷を考える当ブログでは、その点は重要課題であり無視はできませんので後々詰めていきます。

役割の考察に戻りますが、妖怪の賢者=役所という説明は適当とは言い難いものでした。

では別の切り口から考えるべきなのかといえばこれもまた微妙で、妖怪の賢者は実際のところ役所のごく一部を担っているだけの「不完全な役所」に他ならないのです。

『口授』の冒頭では白蓮・神奈子から「幻想郷の人間は妖怪に支配されている」とありますが、これの解釈は役所や行政という言葉を使って行われるものでなく、精神的な、より根本的な上下関係であると考えた方が良いのかもしれません。

実際、幻想郷が(結界が)壊れて困るのは基本的に妖怪のみであり、人間は外の世界の常識に染まれば(多分)生きていけるのにも関わらず、檻のような幻想郷から出ようとしない。これは妖怪>人間という価値観が浸透しきっているからではないでしょうか。

『史紀』に於いて阿求が「里の中で妖怪に出会ったとしても、目上の者に接するように恭しく挨拶をしよう。(*高確率で目上の者)」と畏敬を推奨すらしているのが1つの論拠です。

そうであるなら、妖怪の賢者の大きな役割の一つはその状態を維持する事でしょう。

言い換えれば一種の「思想統制」を、暗に行っている。というのは言い過ぎでしょうか?




長くなりましたがこれで妖怪の賢者の考察は終わりです。

次回は人間と妖怪の関係の変遷を考察します。

テーマ : 東方プロジェクト
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あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

↓ちょっと頑張りました。
あけおめ霊夢


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