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【東方考察】幻想郷の地図を考える(4)

どうも。

ちょっと期間が空きましたが第4弾です。

前々回は「幻と実体の境界」以前の人里の産業・収入事情を、
前回は「幻と実体の境界」前後の人里の変化を考察しました。

それらを踏まえて今回は、「境界」による閉鎖が幻想郷の食糧事情にどう影響したかを考え・・・るつもりだったんですが、ちょっと行き詰まりというか、はっきりさせておかないといけないことをスルーしていた事に気付いたので先にそちらを片付けたいと思います。

それはズバリ、「妖怪と人間の関係」です。

今までは漠然と捕食者と被捕食者、紫は別枠というノリで書いてきてたんですが、これがどうも拙かった。

リアルな幻想郷を考える上で、こんな適当な関係性では幻想郷が足元から崩れてしまうという事に気が付きました。割と早い段階で気付けてラッキーでした。


ではまず、そもそも「妖怪」とは何なのかを見ていきます。

予め述べておくと、現代以前、「妖怪」は妖怪とは殆ど呼ばれていませんでした。詳しくは昭和以降の妖怪研究の本を読んでください。

基本的に私は昭和以前に「妖怪」が妖怪と呼ばれている記述には問題があると思っていますが、便宜上全て妖怪と表記します。

重要なのは東方的視点から見た「妖怪」の中身です。

『紅魔郷』以降の登場キャラをちょっと分類してみました。(『史紀』の分類は一部参考)
分類の方法は

┌人間
    ┌神
└非人間
    └非神=妖怪

という大雑把な分類ですが、東方においてはこれで問題ない、というかこれが正解だと見ました。何かと分類しにくい仕様になっている東方キャラを、非常に明快に分類できます。

「妖怪」
妖獣(∈妖虫)、獣人(半獣)、妖精、幽霊(∈怨霊)、亡霊、付喪神、死神、天狗、河童、鵺、土蜘蛛、鬼、吸血鬼、悪魔、魔法使い、覚、座敷童、雪女、山彦、竜宮の使い、釣瓶落とし、橋姫、火車、地獄鴉、入道、舟幽霊、僵屍、龍、雷獣、ツチノコ、ホフゴブリン、憑き物(管狐)、分類不可(ルーミア、美鈴、幽香、一輪、本読み妖怪、紫)、(半人半妖(霊))、(龍神)

「神」
神霊(∈八咫烏)、(八百万の)神、厄神、仏神(∈閻魔)、(現人神)、(龍神)

「人間」
月人、仙人(∈邪仙、尸解仙)、天人、不死人(≒蓬莱人)、(半人半妖(霊))、(現人神)、その他の人間

興味深いのは、分類を難しくする存在があまりにも多いという点です。ZUN氏は狙ってやってるんじゃないかと。

「妖怪」とされているのは「神仏を除く人間でないモノ」であり、現代人の通俗的な"妖怪"に、西洋の通俗的な怪物や精霊、さらに魔法使いを加えたものです。

この「非人で非神」のブラックボックスたる「妖怪」は、これ以上二項対立的に分類しようとすると躓きます。

ゆえにこの漠然とした「妖怪」と、「人間」、それも上の分類における「その他の人間」をメインに「妖怪と人間の関係」を見ていかなくてはなりません。

もちろん「捕食者と被捕食者」は間違いです。というより、「そういう一面もある」だけです。

これを考えていくには、「妖怪」の最大公約数的な特徴を挙げていくのが近道でしょう。実際にやってみます。

・人を襲う(殺す、食べる、憑く)、化かす(驚かす)など、人に害をなす
・人が恐れる、或いは疎む(→幻想郷では 人が積極的に退治したいと望む)
(例外的に座敷童・ホフゴブリンはこれに当て嵌りません。)


これだけです。ですが幻想郷では最も重要な特徴であり、関係なのです。

どうしてか?幻想郷が妖怪の為の世界だからです。

妖怪とは元々イマジナリーな存在です。「何にとって」想像的かといえば、人間にとってです。

この想像的存在が一人歩きして実体をもったのが、幻想郷的、東方的「妖怪」ですね。

しかし実体が在っても無くても、「妖怪」は人間との関係なしには存在できない。

まさしく東方世界の根幹の説明がこれです。



次回は、"例外"や「妖怪の賢者」についての考察と時代別のこの関係性の変遷を見ていきます。


続く

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落書き(1)


息抜きにルナチャ描きました。

落書き023

落書き以外の何者でもない。

なんでルナチャかというと最近資料として三月精を買ったからです。

一番妖怪に近いと紫に指摘されたキャラですが、神主的にはそれ以上話を広げる気はないんでしょうか。

霊夢と仲良くなってめでたしめでたしという感じで三月精は終わりましたが、いつかゲームで霊夢に使役されてるところを見てみたいなぁ。

多分ないけど。

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「千年女優」プチレビュー

どうも。

こないだ今敏監督作の「千年女優」を見る機会があり、これが衝撃的だったのでちょっとしたレビューを書きます。

なおネタバレ100%なので一度も見たことない人は読まないでください。














<ここから>

話にはあまり引き込まれませんでした。
こういう過去を振り返りながら進む話は、もっと頻繁に「今」を映してくれないと見てるこっちが不安になってくるので。
過去の幻影の中に立花とカメラマンの男2人が入り込んでいる絵も違和感をもって見てしまいました。
それでも千代子が亡くなろうという時には、やたら涙が出てきた。
つまり自分は千代子より、千代子を熱烈に愛する立花に共感したという訳です。
で、かなり感極まってたときにあのラストの台詞ですよ。
しばし呆然・・・そして流れ出す平沢師匠の「ロタティオン」。
ロタティオンの間、「どういう事だ・・・?」と頭の中はパニックになってました。
立花も私と同じように、確実に呆然としていたでしょう。
カメラマン君はシンプルにその最期の台詞をとらえて白けてたでしょうし。
そしてロタティオンが終わった頃にはとりあえず涙は止まっていました。
私はどの解釈が正しいとか鼻息を荒くするような事はしませんが、レビューサイトを見た限り
カメラマン君状態の人は「5点」、立花状態の人は「7,8点」をつけてる印象でした。
立花状態とはその意味をまっすぐ受け止めず、何らかのドラマティックな意味付けを与えた人です。
だってそうでもしないと、あの涙が無駄になってしまう!
私は立花派なので「あの人を追いかけてる自分が一番好きなんですもの」にはきっと素敵な意味があるんだ!と(中身はないものの)とりあえず納得して安心しました。笑
あまり深く考えるのは好きじゃないんです。
この映画の面白いところは、考えれば考えるほど「いい話だった」となり、何も考えずに見たら「酷いオチだった」となる。そのどちらとも許容されるという点でしょう。
つまり結局は受け手、読み手に掛かっている。

<おわり>





とまぁ長々書きましたが、なかなか興味深い作品でしたので今監督や平沢師匠のファンの方は観てみて損はないと思うよ。

以上!

【東方考察】幻想郷の地図を考える(3)

※はじめに※
今回の内容は(6)にて大幅な修正を加えています。それに伴いこちらも少し修正をしましたので併せてご覧下さい。


次に500年ほど前、妖怪が減り人間の増えすぎたかつての幻想郷に「幻と実体の境界」が張られた際はどうか。

『縁起』にあるとおりこの最初の結界は「外の世界の妖怪を自動的に幻想郷へと呼び込む」為、この状況で人間が易々勝てるとも思えません。

この結界以降、妖怪>人間の構図が自然なはずなのですが、この時代に於いてもどうやら里の人間は滅びませんでした。

「大結界」後の騒動から推測するに、この期間は「人間がいなくなって困る」という考え方はされていなかったはずです。(修正:一般妖怪はこの認識で良いが、妖怪の賢者は違う)人間が保護されない=人間の入郷が容易or妖怪の出郷が容易、と考えられますが、これが少々謎です。
「幻と実体の境界」が引かれたのにも関わらず「幻」側に「人間という実体の存在」を肯定した矛盾的状況が生まれています。
これを矛盾ではないとするならば、「幻」側に括られた時点で「人間」が「幻の存在」になってしまったと見ないといけません。結界はその内側に入ったもの全てを「幻」にするという効果も持っているようです。

※(6)に伴う追記
本記事時点では「幻」「実体」についての考察をしていなかったのでその使い方が一意的でない。
(6)では「実体」とは「非幻」を指すとした。
論理的視点から、
「実体」界(外の世界)における「実体」(ex.外の人間)とは「幻」界(幻想郷)における「幻」
「幻」界における「実体」(ex.神・妖怪、幻想郷の人間)とは「実体」界における「幻」
と考えることができる。

::旧考察。:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

ここで結界の出入りによる影響を考えるに、

仮に「幻のもの」が「実体」の側にいけば、力(存在)を殆ど失うでしょう。これは妖怪や神が人の精神に因った存在だからで、外の世界で勢力が弱まった妖怪が、幻想郷に入れば力を維持できることから明らかです。これで「妖怪の出郷が容易」は否定されます。
なお「幻の人間」も、神通力を失ったり存在が覚束なくなったりするかもしれません。

逆に「実体のもの」が「幻」の側にいくと――これがまたよく解らない。
考えられるのは「実体を失うか徐々に失って幻の者になる」とか、そんな感じでしょう。「千と千尋」がこんな設定でしたね。人間の幻想入りについての一次資料が無い以上は個々の想像に頼るしか無さそうですが、「人間の入郷が容易」は、否定されずとも強く肯定される様な事ではないでしょう。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
※(6)に伴う修正
「幻と実体の境界」を越えるという行為は、幻想郷の者なら幻想郷における幻になるという事であり、外の世界の者なら外の世界における幻になるという事である。これはやや困難であるが、全くできない事ではない。
そして境界を仮に越えることができたのであれば「境界の影響によって力を失う」事は無いだろう。境界はあくまで境目でしかなく、妖怪や人から力を奪ったりする類のものではない。但し境界を越えるために(「幻」になるために)「力を失う」必要があったなら、当然力を失わざるを得ない。つまり境界を出ようとする者は「力を失わずに外に出る方法」を用意しておく必要がある。
「人間の入郷が容易or妖怪の出郷が容易」は(6)修正後も否定される。


これを踏まえて里の人間が滅ばなかった理由を考えると、人間が保護されない=人間の入郷が容易or妖怪の出郷が容易というのは安直で、別の角度から見る必要があるようです。

そこで考えられるのは、

①あらゆる妖怪に対抗できる強力な人間が(何世代にも渡り)存在した
②人柱を捧げるなどして滅ぼされない程度の関係を築いた
③意外と幻想入りの頻度が高く、次々に人間が入郷した
④外来妖怪も多い事から妖怪内の諍いが絶えなかった

こんなところでしょうか。
※(6)で「妖怪の賢者による調整」を新たに加えた。

①は元も子も無いですが、人間が絶えなかった説明としては実に便利です。またその人物こそ博麗の巫女であるという説明も可能です。

②「妖怪の天下」と『幻想郷縁起』にもあり、こうだった可能性もあります。

しかし、果たして充分な人柱を用意できたのかという疑問が残りますし、妖怪はこういう事を好まない性質の者も多そうです。本音はそんな殺伐とした幻想郷が誰に受け入れられるんだという

::旧考察。:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
③あまり考えにくい事です。拝み屋業自体が幻に属すものになったのならありえますが、そういった歴史的事実はありません。しかし不定期にそういった人間が入郷する事は(それまでと変わりなく)あったはずです。
拝み屋以外の幻想入りは――戦国-江戸期に世捨て人ばかりならあり得ますがそういう歴史的事実も多分無かったでしょう。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
※(6)に伴う修正
③(6)にて「幻」になる条件を考えた結果、③は充分有り得ると結論づけた。旧考察時点では「幻」になる人間を拝み屋と世捨て人に限定しているが、他の人間も「幻」になる条件を満たすことはあり得る。しかしやはり絶対数が少ないので幻想郷の人口減を補う程ではないと考える。

④実際のところ実力主義の妖怪世界では多少の諍いはあったでしょう。特に文化の違う外来妖怪と日本妖怪は緊張状態にあったと思います。
しかしながらそれによって人間が悠々の状態だったとは考えられません。
『縁起』で、博麗大結界が張られたときにそういった反応(妖怪内紛による平穏)があったとされている為、それ以前はやはり人間は妖怪に襲われていたのです。

実態は①③④が同時に起こっており、①の有無で妖怪・人間の増減が決まっていたのではないかという事です。

(また①の不在時は②があった可能性は捨て切れません。)

そしてこの時代は、結果的には両者とも増えて幻想郷自体が大きくなっていると考えるのが自然です。

『縁起』の八雲紫の項をみて分かるとおり、「幻と実体の境界」を作ったのは「妖怪拡張計画」という計画の一端で、単純に妖怪だけを増やそうという意図のように見えますが、

単純に半閉鎖的な幻想郷において妖怪だけ増やすのでは人間が減りすぎてしまいます。

よって「妖怪拡張計画」は紫の外向けの呼称であり、実質的には人間も含めた「幻想郷拡張計画」だったと見るべきでしょう。


ではここでこの時期の食糧の話に戻りたいと思います。

続く

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【東方考察】幻想郷の地図を考える(2)

どうも。

第2弾は幻想郷の人口と産業構造について(結界以前の幻想郷民の食糧と収入)です。

幻想郷の人口ははっきりとしたデータがありませんが、産業構造をみれば自ずとその答えは見えてくるのではないか?と思いました。

前回も述べたとおり、幻想郷の産業、特に第一次産業の状態ははっきりしていません。

ここを正確に把握する事が、リアルな幻想郷を摑む第一歩になる事と思います。

なおこのブログでは主食として基本的に「米」のみを取り扱おうと思っています。

幻想郷が外の世界から隔離された明治代以前に於いては民衆の主食は「麦、粟、稗、米、野菜を混ぜたもの」であった可能性が高く現代でもこの状況が続いているかもしれませんが、こう複合的になると作付面積の推測が至難の業になるので代表として米のみを考えたい、というのがその理由です。


さて歴史を振り返ると、かつて戦国期以前の幻想郷において、幻想郷は妖怪(鬼、天狗、猫又、山姥等)の跋扈する人里離れた辺境の地であり、そこに妖怪退治を生業とする人々が居着き形成されていました。

つまり彼らは一般の農民ではなく山伏、陰陽師、法師、渡り巫女等(総称として以降「拝み屋」とします)だったはずですが、

山にいて妖怪を倒しているだけでは生きていけません。どのように収入を得るか考えると、

①外回りの営業による寄進、勧進
②固定客(檀家等)からの寄進、勧進
③農地を開墾して自給自足の生活

考えられるのはこれくらいです。

①は安定的ではありません。しかも幻想郷という地盤から離れたほうが効果的であり、居着く必要がありません。
(幻想郷風土記と併せて考えても、これはなさそうです)

②は比較的安定的です。居住地を幻想郷にする必要があるのかは微妙ですが、幻想郷の山が大峯山や羽黒山のような修験の地であったと考えれば納得はいきます。
(風土記と併せて考えれば、幻想郷から妖怪を出さないようにする為居着いていたとも考えられます。檀家回りの際は当番制で地を守ったか)

しかしこの方法だけを採れば、この地には発展性がなく、長続きしなさそうです。

③はどうでしょう。

小さな畑程度であれば作ることは可能ですし、実際あったでしょう。ただ大きな水田などは微妙なところ。

険しい山地ですので、棚田があったかもしれません。あるいは川沿いに墾かれていたか。

しかし開墾、田植え、刈入れなどは非常に多くの手間と人員が必要です。ゆえに幻想郷の初期は、田は少なく、②の形態に支えられる面が大きかった。

時代が進み、拝み屋連が連帯的に集落を形成して、この地が文明的に発展した。田も多く墾かれ、農業従事者も増えた(拝み屋の子孫、または移住者)。


租や年貢が納められたかは微妙です。結界以前の幻想郷が、どの程度外界から認知されていたかによるでしょう。

ひとつ、風土記の記述を参考にすれば――――

「はるか昔この地は、迷い込んだら最後、妖怪たちに喰われてしまう、と恐れられていたのだ。人々はここを「幻想郷」と呼び、決して近づく事は無かった。(略)退治を行う勇敢な人間も現れた(略)この山国には良くある話で、特に珍しい話ではない。この様な場所もいたるところに存在した時代であった。そういう時代が1000年以上続いた...次第に人間は文明を築きあげた。(後略)」

幻想郷的な場所はそもそも多数存在しており、その所々で税の在り方は違ったでしょう。

決して近づく事は無かった→幻想郷にまで踏み込んで税を取れるのか?

退治を行う勇敢な人間も現れた(略)この山国には良くある話→人間がいて「よくある話」(外界からも認知されている可能性大)→免税地になるわけが無い?

どちらともとれるし、そもそも風土記は資料的価値が低いのであまり掘り下げる必要はないのかもしれません。

とりあえず結論として、完全自給自足では無く、寄進に支えられた形で外界からも認知された地であったという②と③を兼ねた姿が、一番現実的でしょう。


続く。

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なぜTOPの画像がユリなのかといえば

どうも。

突然ですが百合っていいですよね!

花の事じゃなく。♀×♀的な意味で

東方でいうなら王道のマリアリもいいですが私の一押しは しずみの です。

文霊夢とかもいいですね。文椛もいいです。文はたも(ry

と東方カプを挙げてみましたが、百合的にはそこまで東方が優れているとは思いません。(ぉ

今一番の押しは「加瀬さん」と「カノカメ」です。

「加瀬さん」は言わずもがな現時点で百合界の頂点です(異論は認めたくない)

「カノカメ」は下手したら男に転びかねませんが、それでも百合界トップクラスの百合度!漫画力!

な作品ですね。なんとか結ばれてほしいものです。

という事で百合カテゴリは身のない駄弁りです。

一応アフィっとくので興味があればどうぞ。


 
 

【東方考察】幻想郷の地図を考える(1)

どうも。

記事第一弾は東方Projectの舞台・幻想郷の地理考察です。

東方の動画を作ろうと思った矢先、どうやら私は漠然としたイメージではいいものが作れないという事が分かってきました。

リアルな世界じゃないとイマイチ発想が膨らまないのです。

その為のアプローチのひとつとして、まず具体的な地図が必要になってくる。

私は「指輪物語」のファンなんですが、あの作品は非常に細部まで作りこまれた完成した世界だと思っています。

あらゆる物事に歴史を感じる事ができるのです。

幻想郷にも同様の「歴史」を感じたいと思いました。

勿論、東方Projectの特徴は良くも悪くもあの「ゆるさ、不完全さ」にあります。

ゆえにこういった考察は無駄なもの、興を削ぐものと思われがちで、事実そうなのですが、

私と同様に「もっと具体的な細部まで知りたい」という人もいるでしょう。

幻想郷をゆるい、不確定要素だらけの場所として捉えるのも東方を楽しむ上で大事だし、

またかっちりした世界像をもって眺めるのも自由だと思うのです。


いきなり厄介なものに手を出しますが、温かい目で見ていてくださると助かります。



さて、幻想郷の地理についてはこれまで幾度となく考察がなされてきた事と思いますが、

私がちょっとググって調べたところ、一般的に思い浮かべられる幻想郷地図にはちょっと抜けてる点があるようです。

『幻想郷縁起』の記述(位置関係)には忠実に描かれているんですが、田畑などが無い事が多いのです。また第一次産業のみならず、産業全体が基本的に空白になっています。

幻想郷には妖怪・人間が多く存在しますが、その食糧はどこから仕入れてくるのか?

妖怪は人間を食べる事がありますが、主には人間と食性は異ならないのではないか、あるいはそもそも食べる必要がないのか。

妖怪の事は分かりませんが、少なくとも人間の人口分の食糧(主に主食となる米)は必要です。

食糧が大量に幻想入りしたり、米が湧き出る泉があったり、紫が人数分の食糧を運んでいるという可能性はない事はないです。

しかしリアルな幻想郷という観点からは、それを除いて考えたい。

そうなると、人間や妖怪が自給自足していると考えるほかないでしょう。

自給自足であれば田の広さは人口に凡そ比例しますので、次回から幻想郷の産業構造と人口に触れたいと思います。


※今回は前書きに行を割いてしまったので、次回からは考察多目でやりたいと思います^^:

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ブログ始めます

こんにちは、弥太朗と申します。

この度ブログを始める事にしました。

私は結構多趣味な人間なんですが、そのどれをとってもイマイチ浅いのです。

このブログは、進み具合やアイディアを随時書く事で、自分を鼓舞するために作りました。

ゆえにとても個人的な内容になりかねませんが、

自分を公開する事に意義があるという観念のもと、やっていこうと思っています。

私の書いた内容が、誰かにとって有意義であれば幸いです。

そんな時はコメントなりWeb拍手なり戴けたら嬉しいです。

よろしくお願いします。
プロフィール

鈴屋弥平

Author:鈴屋弥平
東方考察(妄想)がメインテーマ。
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